ライフをメモするブログ

思うままに。自分でもよく自分のブログの存在を忘れます。

堕落的な休日

休日は本当に堕落的な1日を過ごしてしまいがちです。こんちには。またこのブログの存在をふと思い出した私です。

 

私事ですが、先日飼っていた子猫が生後3ヶ月半ほどで早々に逝きまして、じいちゃんもばあちゃんも4人とも健在という恵まれた家庭事情の私としては、これまでにあまり経験したことのなかった感情を心に深く刻み込む事となりました。

 

「あまり」というのは、昨年12月くらいに、17歳だった実家の愛犬が天寿を全うして眠りにつくこととなったため、「死」に直面したことはあったものの、彼女はよく生きてくれたので、「早すぎる死」に直面するというのはもはや初めての体験だったわけです。

 

あの子は、何度か入退院を繰り返していたので、最悪の事態を想像したことはあったものの、それが現実になるなどとは考えていませんでした。まあそんなこと深く考えてもね、辛くなるだけですし、その時できることをしっかりやろうという所存でした。

 

あの子は、ペットショップから迎え入れた子だったのですが、妻はそのペットショップに不信感を抱いたようでした。私としては、あの子と出会わせてくれたペットショップには感謝していますし、むしろ、救ってくれなかった動物病院に不信感を抱くのが筋なのではと思ったのですが。まあそれも、不信感を抱くとして、どちらかといえば、という話ですが。

 

私自身は、動物病院に対しても、あの子の入院中毎日通う私たちに一生懸命いろいろなことを説明してもらって、感謝しています。ただ気になるのは、「検査結果も悪くなく、退院しても大丈夫だ」という判断を受け、家に連れ帰った翌日に逝ってしまったことです。それ、油断したんじゃないのと。私自身も、振り返れば、連れ帰った翌朝会社に向かう前、少し元気がないなとは思ったものの、妻も私もそのまま家を出てしまったわけで、あの時また病院へ連れて行っていれば、もしかしたらまだあの子は元気だったのかもしれません。そんなことを考えて、未だに涙が滲んだりするのです。

 

そしてさらに気になるのが、その「大丈夫」という判断が果たして妥当なものだったのか、あの子の死というフィードバックを受けてそれを検証しているのだろうかということ。もしかしたら、院内でいろいろと研究してくれているのかもしれないのですが、果たしてどうなのか一度尋ねてみたい。結局、我が家で逝ってしまったので、数日後病院へ連れて行った際も、明確に死因は分からないという判断だったんですよね。その時聞きゃよかったんですが…。

 

我が家には他にも猫ちゃんがいるので、病院に行く機会はあるのですが、しかし、今更聞きづらくもあるよね…。

あの子が天国で、元気に、はしゃいでくれていたらいいなあ…。

いつかまた会いたいなあ…。

自分がいずれ死んだら、会いに行こうと思います。

 

そして今日、妻が検査キットを片手に私を叩き起こしてきたのですが、「陽性」の印が出ておりました。産婦人科にまだ行っていないので、確定ではないですが、つい早とちりしてワクワクしてしまいます。新しい家族を迎える準備を進めたいと思います。無事に生まれてくることを祈るばかり。妻へのサポートも頑張ります。